メッシがマラドーナを超えとは思わないし、そういう比較はナンセンスというコメントに賛同。
2022.12.20
なんか昨日のド昼間(正午過ぎ)のTBSのワイドショーみたいなものは延々とワールドカップ・ファイナルの模様を(映像使用料を節約するために)フリップを駆使しながら一生懸命(?)やっておりましたな。たまたま視たんだが。
映像も数秒間を1回だけしか流せないとか(笑) TBSは今大会の試合中継を獲得しなかったんで、それを逆手に(?)アケスケで面白いっちゃぁ面白い感じではありましたね。
で、そのフリップが(もちろん静止画のポンチ絵みたいなものなんだが)選手の配置(言うなればポジショニング)とボールの動きを視聴者(一般ピープル)に見せるもので、おぉ…これがシンプルだが割と良く出来てたんだよね。
むしろ映像が使えない方がこういう努力(というか思考)がテレビ屋にだってデキルんじゃないか…と、あらためて思いましたね。
元々(フットボールの見方を知らない、わからない、いつまでもレベルが上がらない)日本人も、パッと見に幾何学的なこういうのはわかりやすかったりスッと入ったりする(なんかイイ感じに見て取る・見える)はずであって、本来好みでなくはない…はず、、、なんだよね。
日本人がその辺が向上しないのは旧メディアのこういう所における怠慢(?)よる部分が結構多いはずでしてね。
そんなこともなんとなく思いながら、チラチラ眺めておりましたよ。
ま、フランス大統領がスタジアムに来ていた点についてスタジオ出演コメンテータが、サッカー見てる場合じゃない…と気取って言ってたのにはムッとしたけど。
フットボールって、それほどのモノなんだよ。知らんのはアンタだけだ。
MCはヨーロッパの国にとっては…みたいにフォローしてたが、いやヨーロッパだけじゃないから。日本がそうじゃないからって、そういう尺度はハズレっすよ。
あ、松井大輔がスタジオに居られました。松井氏は夜のフジテレビにも出演してましたね。
さて本日のエントリーのタイトルだが、これはファイナルの前日あたりにイタリア紙で展開していた論調。
曰く、マラドーナとメッシの比較はメッシの価値を損ねるものだと。
そしてこう続けている、、、たとえればエルヴィス・プレスリーとモーツァルトのどちらが良いかとかピカソとカラヴァッジョのどちらが良いかと聞いているようなものだ…と。
おっイイねぇ、そういうたとえ方。
今回のアルゼンチンの36年ぶりのワールドカップ優勝で、メッシのマラドーナ超え…云々という形容を散見するんだが、私は1986年ワールドカップのマラドーナをリアル時間で見てた者だが(そしてマラドーナが好きというわけでは全然ない者だが)超えた云々は別にね、、、とは思います。
超えてはない(到達していない)とも全然思わないし、いずれにしても超えた・超えないはちょっとね…って感じだ。不毛…的な。
ちなみにFIFAはワールドカップ開催ごとにドキュメンタリー映画(映画っすよ、映画…)を制作していたが、その1986年大会のタイトルは(日本語にするなら)「マラドーナと6人のスーパースターたち」ってな感じのタイトルだったと思う。
正確なタイトル(英語タイトル)は忘れちゃいました(笑) 確かNHKが放送したように記憶しているが。
ただ、1986年(メキシコ大会)はそれくらいの大会だったっちゅうことです。
ちなみにアルゼンチンが初優勝した1978年(アルゼンチン大会)は、まぁあれだ、、、なかなかにアルゼンチンの強引な部分もありましたね。その時のファイナルでの英雄はマリオ・ケンペスだったね。