エドソン・アランテス・ド・ナシメント氏のプレーを最後に観たのは1984年8月25日の旧・国立競技場だった。
2022.12.30
エドソン・アランテス・ド・ナシメントって舌が噛みそうな名前を一生懸命覚えたよ。誰かに(年上の誰か)にオマエ「ペレ」の本名言えるかって煽られて。
おかげで今でもスラスラと口にできる。
1984年8月25日の旧・国立競技場は、この年初めに現役引退を発表した(元日の天皇杯ファイナルが公式戦最後のプレーだった)釜本邦茂氏の引退試合、ヤンマーVS日本リーグ選抜。
もう40歳になっているオベラートが90分付き合って(プレーして)くれたのも驚いたが、後半頭からピッチに登場した(この時43歳??)ペレが驚きの(超次元的)ターンやスピードを見せて実にダイナミックで迫力満点だった光景を、今でもペレの名前を耳にすると思い出す。
そして今日、訃報が。
先日のワールドカップ開催中からそろそろ、、、という話ではあったんで。。。
今日のように「10番」が特別な背番号になったのは、ペレがきっかけであることは周知の事実。当時はまだエースは「9番」だった。元々「9番」はストライカーの背番号だが、チームのポイトゲッターでは必ずしもなくても、エースは「9番」だった。
そしてペレは、幾つもフットボールのルールを変えていったことも周知のエピソードだろう。
1970年代前半、多分当時の日本人はペレのプレーを(動く映像で)ほとんど見たことがないであろうにもかかわらず、当時の複数のサッカー雑誌は「ペレ特集号」「ペレ増刊号」を度々発行してたりしたよね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
YouTubeにテレビ東京で放送された同時の番組が上がってた。
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